信仰心

平成21年1月29日
信仰心

豊田三郎画伯と話していると「生きた哲人」を思う。芸術家であり、哲学者であり、かつまた信仰心を持っておられる。「宇宙や自然、神仏は一体であり、形を持たず、無限大である」「すべてを創り出したし、又今後も創り続ける超大能力である」「この超大能力に誠心誠意を込めて頼めば、無限大に、無尽蔵に力を与えていただけることを知っているか」「信仰心の感じられない作品は作る必要がない」「絵は静かな感動を表現するものである」。
このような至言が次々と飛び出してくる。その言葉を胸に刻んで帰宅し、いただいた画集「寿楽無窮」をひもといてみた。そこに心にとめた至言の数々がかかれているのを発見した。
画集に掲載されている「芽吹く河岸」は、2004年の春の作である。先生が96歳の時の戸外での作品である。春になって、森羅万象が目覚め、芽吹きの頃、母なる川、足羽川の川面を渡る暖かい風を感じる。やわらかい芽吹きの新緑がほのぼのとした画面を作り上げている。削ぎ落とし、省略し尽くした画面からは、描かれていない周囲の山々は勿論、川上も、川下も見せてくれる。春の陽射しの暖かさ、優しさをも感じさせてくれる。
先生の言葉に、「絵をかく時は、かこうとする自然にお辞儀をする。一礼をする。そして対象と会話をしながら描いていく。すると対象が次から次へと美を教えてくれる。作品が出品作へ行くとか、自分の手から去っていく時は、作品を積んだ車が見えなくなるまで見送って、頭を下げる。作品は精魂を尽くして育てたわが子と同じだから」
現代人は信仰心の篤い人が少ない。でも先生と話していると、現代人の失いつつある大切なものがよく見えてくる。「信仰心」はその最たるものである。人間の智恵は無限であり、無尽蔵である。しかし人間を作ったのは、人間ではない。あらゆる生物は「超大能力」や「天」や「創造主」や「神」や「仏」という人間以外のものによって作られた。DNAというミクロの世界まで整然と作られている。また宇宙への広がりもとても人間の知恵の及ぶところではない。
敬虔な信仰心を持っていれば戦争はなくなり、争いがなくなり地球はもっともっと住みやすくなるであろう。

投稿者: jsb 日時: 2009年01月29日 09:43

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