古寺巡礼

平成21年3月9日
古寺巡礼

学生時代を京都で過すまたとない機会を生かして、古美術研究会の友人を誘って、京都の古い寺をめぐり歩いた。戦乱の巷を千年以上も生き続けた京都の各地に、数多くの古寺が生き残っている姿を目のあたりにし大きな感動を受けた。まさに歴史や文化そして真の宗教や芸術にふれる旅であった。
ひるがえって福井について考えてみよう。福井県は滋賀県に続いて神社仏閣の数が多いところである。日本海沿岸には神世時代からの神社が多い。白木神社は各地にあり、半島との関係の濃さを偲ばせる。また古来から日本列島にあった自然崇拝と神道そして渡来した仏教を習合したという泰澄(682—768)は福井の生まれである。泰澄研究は、泰澄創建といわれる勝山市の平泉寺白山神社の前宮司平泉澄(元東大国史学教授)が書いた「泰澄和尚伝記」がすばらしい。これは泰澄入寂の地といわれる越智山大谷寺の僧「神興」が、天台僧の「浄蔵」の口授を筆記したという同名の「泰澄和尚伝記」の研究に基づいている。
福井県下はおろか、京都をはじめ周辺の至るところに「泰澄伝説」は存在する。しかし泰澄の名は正史といわれる公式文書には全く見当たらないといわれている。伝によれば722年に元正天皇の病をなおし禅師の位(十禅師の一人といわれる)につき、737年には天然痘が流行、これを十一面法を修して治め、聖武天皇より「泰澄」の名と「大和尚」の位をいただいたという。泰澄の足跡を訪ねて福井を歩く「福井遊行」の旅が面白い。越前町の福通寺朝日観音には泰澄の聖観音と千手観音が伝えられている。小浜の羽賀寺の十一面観音像は行基仏といわれるが泰澄作と思われる。
泰澄は日本における山岳信仰の祖であり、神仏習合の祖であり、仏像制作(木彫)の祖であり、十一面観音信仰の祖である。これ程の偉人は少ない。永平寺の道元、宝慶寺の寂円、北潟の蓮如をはじめ、日本の歴史、文化、芸術に大きな貢献をした福井ゆかりの宗教家の偉大な業績を訪ね歩く「福井遊行」は、観光の目玉というより、私達の心のふるさと再発見の旅へのいざないといえよう。
古寺社を訪ねる巡礼の旅は「四国の専売」にしておく必要はない。日本一、二、世界一、二を競う神社仏閣の密集する福井県下に数コースの「福井遊行の道」を作ることを提案したい。

投稿者: jsb 日時: 2009年03月09日 18:46

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