柴田神社

平成21年4月20日
柴田神社

織田信長の臣下第一といわれ、越前49万石という最大の領地をもらった柴田勝家は、福井市のJR福井駅から徒歩5分のところにある柴田神社に祀られている。柴田勝家は斯波氏の庶流柴田土佐守の子として、尾張で生まれ、その後信長の宿将として活躍。越前の朝倉家や一向一揆との戦いを制し、1575年9月(天正3年)城主となり、九重の天守閣を持つ北ノ庄城を現在の柴田神社所在地に建てた。
信長の死後、勝家は秀吉と対立したが、信長の妹「お市の方」と結婚し、北ノ庄城に住んだ。しかし秀吉の北陸攻めに敗れて、この北ノ庄城でお市の方と共に自刃。その時浅井長政との間に生まれた美人3姉妹(お茶々=豊臣秀吉側室、お初=京極高次正室、お江またはお江与=徳川秀忠正室)は戦火の中を秀吉方へ脱出。その後絶世の美女といわれた「お市の方」の遺児たちは戦乱の世を、敵・味方に分れて数奇な運命をたどることになった。
北ノ庄城は柴田勝家とお市の方の自刃の際に、灰燼と化したが、その故地に柴田神社が造営されていた。戦災や震災で神社の社殿は燃えてしまったが、平成9年に新たに着工。現在神域は少しずつ拡大されつつある。材料の木材は伊勢神宮の式年遷座の折、境内社の一社を払下げて頂いたとのこと。様式は室町時代の重要文化財、宇治市の三室戸寺の左奥にある「十八神社」をモデルとして建立したという。
福井の春祭りの一環として開かれた地元を知る講座「北の庄物語」を聞く機会があった。講師は中川一雄元敦賀セメント役員であり、久闊を叙した。中川さんは福井市歴史ボランティアグループ「語り部」としてお話しをいただいたが、自宅が柴田神社に近く、役をお勤めのようである。柴田勝家、お市の方の菩提寺は柴田神社とほど遠くない西光寺である。
柴田勝家末裔の人々は、日本美術院理事長、東京芸術大学学長、文化勲章受賞の平山郁夫画伯をはじめ兄弟の方々が折々に参拝されている。また福井市内の宗法寺住職柴田性紀さんも同じく子孫とのことであり、柴田勝家ゆかりの遺品も数多く残されている。私は以前から「戦国のエレジー四人の美女」を描くメロドラマの出現を期待して、女流作家を物色中である。

投稿者: jsb 日時: 2009年04月20日 10:35

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