笑ってみる

平成21年9月28日
笑ってみる

世の中暗い話題が多い。不思議なことに、暗い話題を求める人がいる。他人の不幸を喜んでいるかのように思える人もいる。世の中が暗いと思うから暗くなる。明るいと思えば明るくなる。物事には表裏がある。明暗がある。しかし表裏も明暗も一如である。
辛い時、苦しい時に、私はひとり笑ってみることにしている。笑ってみると、大変だと思っていたことが、それ程でもないように思えてくる。更に声に出して笑ってみる。大声で笑ってみる。すると問題のポイントが見えてくる。笑っているうちに問題の殆どが消えていってしまうのだ。
悩みがある時、人に聞いてもらうだけで、悩みの殆どがなくなるといわれている。カトリック教会では懺悔室があり、神や神の代理人の神父に聞いてもらうことにより、救われるという。
笑うことも、悩みをうちあけることも、閉塞した状態からの脱出に役立つ。どん底からの回帰に役立つ。人に聞いてもらう前に、まず笑ってみよう。悩みを笑い飛ばしてみよう。笑うことによって世界が変るのである。どん底から這い上ってくる力、この力こそすべての人に与えられたものである。「人間力」と呼んでもよい。「精神力」という人もいる。「気の力」と言ってもよい。
「どん底」はあらゆる人に巡ってくる。何度も何度も経験するのが「どん底」である。そのどん底で得たもの、這い上る過程で得るもの、「蘇生」がその人の人格の涵養に資し、人生を豊かにする。
偉人伝を読んで感動することが多い。平山郁夫画伯の鎌倉の家を何度か訪ねたことがある。いつも留守が多かった。平山夫妻の仲人の前田青邨さんが紹介していただいたのが守屋多々志さんと平山郁夫さんであった。3人共当時鎌倉に住んでおられた。平山画伯は私より7歳年長であったが、原爆にあって九死に一生を得た経験があるという。瀬戸内の生口島の出身とのことであるが、柴田勝家の子孫だとのことで柴田神社社殿完成の折、本画を寄贈され、その版画を氏子一統に賜った。私の会社で柴田神社の隣地を入手し、コインパーキングシステムを設置したが、不思議な縁で、この版画も入手した。日本画の第一人者でありながら、平山画伯の温顔はいつみてもすばらしい。何回も何回もどん底を経験しながら、それを乗り越えられた、そのプロセスをたどる時、私は沸き上ってくる感動に身震いがする。
平山夫人の美知子さんに、数冊の本がある。いつもスケッチ旅行に同行され、介添役として画伯を陰でしっかりと支えておられるのである。「二人の歩く後に道ができる」と夫人は言う。この言葉にこめられた楽観的な考え方、生き方が平山夫妻の人生に大きなプラスの働きをしているように私は思う。
「一本の道がある」「その道を行く」というのが普通であるが、「二人の歩く後に道ができる」というのは何とすばらしい自信であろうか、何とすばらしい開拓者魂であろうか。
お二人は「文化財赤十字」を提唱し、これを実行されている。世界中の仏教遺跡、日本の伝統芸術の修復や保存のため、私財を投じ、自ら現地へ出向いてこの支援をされている。ワシントンのスミソニアンの美術館の東洋美術品の修復やバーミアンの仏教遺跡復旧に多大の貢献をされている。原爆の死の世界から「蘇生」し、そして笑顔を絶やさず世界平和のため、身を挺して活躍されている姿は、赤十字を生んだナイチンゲールの姿と重なってみえる。ノーベル平和賞に最もふさわしい人と思うのは私だけではないはずである。
「どんな困難に直面しても、不撓不屈の開拓者精神を持って可能性に挑戦する」これが私の会社の社是の一つであるが、平山画伯の人生そのものである。
この厳しい社会情勢の中にあって、笑顔を忘れず、生きていきたい。さあ笑ってみよう。

投稿者: jsb 日時: 2009年09月28日 16:43

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