語り部「戦争体験」

平成22年8月16日
語り部「戦争体験」

1945年日本全土がアメリカ軍の大空襲にさらされた。日本の主要都市67市への夜間無差別攻撃である。B29の爆弾、焼夷弾の投下と、機銃掃射そして戦艦からの艦砲射撃であった。3月10日に東京大空襲があり、この夜の死者の数は8万3793人との警視庁発表である。それ以来東京は度々火の海となった。福井市は7月19日夜B29の127機の大編隊に襲われた。夜間無差別焼夷弾爆撃だ。軍隊も対空砲火も何一つない街に、降り注がれた災難である。多くのの婦女子を中心に、市民が焼け死んだ。全財産を失った人々は「焼け出された」といったものだ。やり場のない悲しい言葉である。
戦争の悲惨さ、恐ろしさは何としても次の世代に語りついでいかねばならない。何の罪もない人々が、いわれもなく、死んでいった戦争のことを、是非語り続いていかねばならない。それは戦争の怖ろしさ、理不尽さ、悲しさ、苦しさなどを語り伝える「語り部」を組織化することだ。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線にも「語り部」達がいる。彼等は既に組織化に着手している。「ヨーロッパ戦線での生存者会議」や「爆撃体験を語り合う会」がヨーロッパ各地にあるという。
日本でもこのような「語り部」の会を生存者が元気なうちに作っておきたいものである。そしてそれを中国や台湾、韓国や東南アジア諸国に広げていけば、おのずから「戦争の悪を語る会」から「平和を願う語り部の会」へと変貌を遂げていくことであろう。それを信じて戦争体験を語る人を発掘していきたい。私の回りの人達はシベリア抑留帰りの人、南方帰りの人、戦病者(帰国したが病気が重かった人)、殆どの方々が戦争体験を語らなかった。質問しても何も返答が返ってこなかった。よほど苦しい思いをされたのだとしか想像できない。一度私記を読ましてもらったことがある。生々しいジャングルの中での戦争体験であった。食べものを捜して結局アメリカ軍に捕まえられて、既に戦争がとっくに終っていたことを知ったという。また満州からの引揚げ者のことがよく小説に書かれた。ロシア兵や現地人からの略奪暴行の話である。戦争の悲惨さを知るには、これ等の歴史を読み、語り部の人々の話を聞いて「ノーモア広島」「ノーモア長崎」そして「ノーモア植民地主義」を貫いていきたい。

投稿者: jsb 日時: 2010年08月16日 09:48

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