本当かな

成22年8月27日
本当かな

人のいうことや本に書いてあること、新聞、ラジオのニュースを信じ易いのは子供の頃であった。それが小学校3年の夏休み、8月15日の天皇陛下の玉音放送以来、信じてはいけない場合が多いという体験をすることになった。小学3年の1学期は連日の警戒警報の発令で直ちに下校となり、近所の観音堂に町内の小学生1〜6年と高等科の12年生が集まり、自習である。空襲警報が発令されると防空壕へ逃げていく。殆ど勉強はできなかった。それが夏休み中の8月15日に一変した。
小学4年からは男子は男子のクラス、女子は女子のクラスに分かれた。「男女10歳にして席を同じうせず」のルールである。ところがこのルールが進駐軍の意向で男女共学に戻された。そしてすべてはアメリカ流の考え方に、強制的に変えられていった。「道路はロード」になり、「神格天皇」は「人民天皇」になり、金持ちは財産税で落ちぶれ預金封鎖でいくら貯金があっても使えないことになった。そして急激なインフレが襲ってきた。物資特に食料不足は深刻で、旅行に行くのに米持参でないと食事はつかなかった。
常識が非常識になり、すべての価値観が反転した。信じやすい性格だった私は疑い深くならざるを得なかった。「本当かな」と自問自答する習慣がついてしまったのである。子供だった私達は適合していく柔軟性があったが、戦前派といわれる人々の精神的な苦悩は大きかった。戦中派といわれる人々の戦後の思想界、文学界での活躍をたどってみると、その混乱の様子が手にとるようにわかる。その嵐のような混乱の中から、私達の祖父母、両親そして近所の大人達、諸先生は戦後のマイナスからの出発を行ったのである。
その復興のスピードとその成果は、日本、ドイツ、イタリー共に目を見張るものとなった。戦勝国が停滞し、低迷する中、敗戦国が発展したのである。まさに奇跡が起きたといえよう。
ものごとは常に常識といわれることも、「本当かな」と疑ってみる態度が求められる。疑い深いことはよいとはいえないが、慎重さ、注意深さを失ってはならない。特にインターネット上で情報があふれている現代は、「本当かな」の一呼吸おいた冷静さが求められている。

投稿者: jsb 日時: 2010年08月27日 09:49

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