借家住い

10月16日
借家住い
私の幼年時代、借家住いをしている老婆がいた。1人暮しである。小さな石臼で残米をすりつぶし、のりを作っていた。当時の女性はすべて和服(着物)を着ていたので、汚れると糸を切り、元の布地にして、洗い、それをのりで上塗りして、乾すのである。そののりを1人で作って売っていた。そののりづくりを見ていて、よく生きていけるなと感じたものだ。上品な女性で、近所の観音堂や八幡神社へよくお参りをしていた。何をおがんでいるのか、長く時間をかけて祈る姿が、不思議に印象深かった。
終戦で外地から帰国した人達が借家に住んでいた。結核にかかり寝たきりになった帰還兵もいた。みんな貧しかったが向う三軒両隣りの仲間意識が強く、お互いに連帯感をしっかり持っていた。
拍子木をたたき金棒を引いて「火の用心、戸締り用心」と連呼して町内を夜8時頃に一巡するのである。その後「空の用心」がつけ加えられ、「火の用心、戸締り用心、空の用心」と呼ぶようになった。
今考えると、貧しかった頃の方が、みんなが連帯感を持ち、笑い声のたえない世の中だったような気がする。病気に苦しむ人の家へ、夕食を運ぶ隣人の姿が、決して少くはなかった時代であった。

投稿者: jsb 日時: 2012年10月16日 10:08

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